電子ヶ沼


【詳細】*こちらのシナリオは少し暗めの内容になっております。苦手な方はご注意ください


比率:1:1

現代・ヒューマンドラマ

時間:約25分


【あらすじ】

逢沢の元に先輩作家の沢木が飛び込んできた。

「……書けないんだ……」


生気を感じられない顔で沢木はそう言葉を零した。


*こちらは少し暗い内容になっております。

 苦手だなと感じた方はそっとお戻りいただけると嬉しいです。



【登場人物】

沢木:沢木 透(さわき とおる)

   ベテランと言われる作家。ヒット作も多数。

   機械音痴で界隈では有名。未だに原稿は手書き。



逢沢:逢沢 かなえ(あいざわ かなえ)

   作家。沢木の大学時代の後輩でもある。




●逢沢の家

   部屋の隅で蹲る沢木。

   それを横目に見ながら沢木の担当からの電話に出る逢沢。


逢沢:はい……そうですか。二日前から。うちには来てないですよ

   まぁ、あんまり心配しなくてもいいんじゃないですかね

   沢木さん、昔からたまにふらっといなくなることありましたし

   あぁ……締め切りが……それは、あれですね……

   流石、飯田さん。沢木さんの属性をよくご存じで

   わかりました。もしこっちに顔を出すことがあれば捕獲しておきます

   捕獲、くらいの表現でちょうどいいですよ。逃げられても困りますし?

沢木:……

逢沢:はい、じゃあ、また何かあれば。はい、お疲れ様です


   通話を切る逢沢。


逢沢:……これでいいですか?

沢木:あぁ、すまんな

逢沢:本当に。後輩を共犯にするのやめてくださいよ

沢木:すまんすまん。代わりに何か奢るよ

逢沢:飯田さん。困ってましたけど

沢木:……だろうな。締め切りあったからな……

逢沢:まぁ、いろいろ見越して、沢木さんに早めの日程で締め切り伝えてたみたいなのでそこら辺の傷は浅いようですけど

沢木:流石飯田だな

逢沢:ホッとしたような顔しないでください、沢木さん。だからって破っていいものじゃないんですから

沢木:……

逢沢:ん? なんですか、そんな顔して……

沢木:いや、お前は相変わらずだな金江

逢沢:今は逢沢ですよ、苗字

沢木:ペンネームのだろ? 元々金江姓なんだからどっちでもいいだろう

逢沢:そりゃ本名知ってればただの苗字呼びなのわかりますけど、そうじゃない人が大多数なんですから

   逢沢で慣れてください

沢木:そんなにこだわる所か?

逢沢:沢木さんはネットというものに疎いでしょうから知る余地もないと思いますが、結構面倒なんですよ

沢木:……ほぅ

逢沢:エゴサとかしたことないでしょう?

沢木:えごさ?

逢沢:ネットで自分の評判を検索することですよ

沢木:……

逢沢:そう言えば、先週飯田さんに会ったときに「沢木さんにノートパソコン押し付けました」って言ってましたけど使えました?

沢木:……いや。俺はやっぱり、原稿用紙で書くのが性に合ってるからな

逢沢:豚に真珠だったわけだ。でも、沢木さんにはそれがいいのかもしれませんね

沢木:おい

逢沢:昨今は簡単に情報の発信も、取得も出来るようになった。だからこその弊害ってやつがあるんです

   インタビュー記事やらツイッターの発言とか、一歩間違えば非難轟々ですからね

沢木:はぁ……それと、金江の……

逢沢:(遮って)ん?

沢木:いや、すまん。えっと……逢沢の言ってたこととどう繋がるんだ?

逢沢:……沢木さんのリアコ勢がめんどくさいんですよ

沢木:リアコ?

逢沢:……あぁ、わかりやすく言うなら、沢木さんのことを本気で好きな人たちです

沢木:いるのか?

逢沢:……甚だ疑問ですが一定数は……

沢木:おい、甚だ疑問とはなんだ

逢沢:いや疑問でしょ。こんな人のどこがいいのかと……

沢木:おい、仮にも先輩だぞ?

逢沢:そうですね。仮にも

沢木:……大学の時はあんなに俺を慕ってくれてたのになぁ

逢沢:……

沢木:先輩、先輩!って……あんときの純粋なかな……いや、逢沢はどこに行ったのか

逢沢:金江は卒業したので。今は逢沢ですから

沢木:中身は同じ人間だろ

逢沢:一応

沢木:一応って……

逢沢:私、沢木さんと同じサークル出身ってことも伏せてますので

沢木:なんで?

逢沢:……いろいろとあるんです

沢木:その、リアコってやつか?

逢沢:まぁ、他にもいろいろと……

沢木:大変だな。それで、そのリアコって何がめんどくさいんだ?

逢沢:いろいろとめんどくさいんですけど……

   例えば、私が沢木さんと二人でご飯に行ったとするじゃないですか?

沢木:あぁ

逢沢:それをツイッターでつぶやくとする

沢木:はい

逢沢:そうすると、大抵の人は「仲良しだ~」とか「いいね!」くらいの反応なんです

沢木:そりゃそうだろうな。ただの日常だからな

逢沢:でも、リアコ勢は違う

沢木:違う?

逢沢:「私の沢木さんと……同じ作家って職業なだけで……あの女……」

沢木:怖い怖い!

逢沢:って感じでこんな風に人を殺してしまいそうな殺気を放つんです

沢木:……画面の向こうで?

逢沢:画面の向こうで。まぁ、だからと言って何か行動に移してくる人は少ないですが……

   完全にいないとも言えない世の中ですからね

沢木:……恐ろしい世の中になったもんだな……

逢沢:ごく一部、本当に少数の方々ですけどね

   リアコ勢の大半の方々は微笑ましく沢木さんを見守ってくれてる方々だと思っていただければ

沢木:おい、だったらなんでわざわざ誇張した?

逢沢:こうでもしないと沢木さんの頭の中には情報として留まってくれないと思ったので

   危険なことはより誇張しておくべきでしょう。ほら、よく「大事なことなので二回言いました」とか言いますし

沢木:……

逢沢:で、一番最初の話に戻ります

沢木:あぁ、そうだった

逢沢:沢木さんが私のことを「金江」と呼ぶ。そうするとどうなると思います?

沢木:え?

逢沢:私の今の名前は「逢沢かなえ」です。そして、私は女です

沢木:……この女、私の沢木さんから名前で呼ばれてる……私というものがありながら……

逢沢:……相変わらずの没入具合ですね。さっき私が例えにだした女性なら、そう思うかもしれませんね

沢木:こわっ

逢沢:自分でやっておいて、なに自分で怖くなってるんですか

沢木:いや、だって……

逢沢:って、ことなので気を付けてくださいね。私、まだ死にたくはないので

沢木:俺だっていやだよ!

逢沢:わかっていただけてなによりです。あ、何か飲みます?

   って言っても、インスタントコーヒーか水くらいしかないですけど

沢木:すまんな。じゃあ、コーヒーで

逢沢:は~い。あ、薄めにしておきますね

沢木:え?

逢沢:空きっ腹に濃い目のブラックはあんまりよくないでしょ

沢木:……お前……

逢沢:なんでその状態でうちに来たのかはわかりませんが

沢木:……

逢沢:目の下のクマも凄ければ、顔に生気も感じられない

   いつもの笑い顔で誤魔化しているつもりでしょうが、誤魔化しきれていませんよ

沢木:……逢沢……

逢沢:あ、玄関横のドア、洗面所に繋がってるので。手、洗っておいてくださいね

沢木:え?

逢沢:もう乾いているから大丈夫だと思いますけど、手の横、インクで真っ黒ですから

沢木:……




●数分後

   手を洗い、机の前に座る沢木。

   コーヒーを置く逢沢。


逢沢:はい、どうぞ

沢木:あぁ……

逢沢:……

沢木:……

逢沢:で?

沢木:ん?

逢沢:どうしてうちに来たんですか?

沢木:……そこは流して受け入れてはくれないのか

逢沢:当たり前です。勝手に流れで共犯になってあげたんです。理由くらい聞いて当然でしょう?

沢木:……そこがお前だよな。優しいんだか厳しいんだか……

逢沢:それは受け取り手の問題じゃないですか?

沢木:確かに

逢沢:まぁ、理由によっては今すぐ飯田さん突き出します

沢木:おいおい

逢沢:で?

沢木:(一息ついて)……書けないんだ

逢沢:はい?

沢木:書けないんだ

逢沢:要するにスランプってことですか?

沢木:……そうなるのかな

逢沢:そうなるのかなって、今までこういうことなかったんですか?

沢木:ない

逢沢:うわぁ……

沢木:なんだ?

逢沢:いや、流石だなって思っただけです

沢木:流石?

逢沢:作家なら誰だって通る道ですよ、スランプなんて。書けないとか、書きたいものと書いてるものが違うとか

   まぁ、それが本人のスランプなのか他者からの横槍のせいなのかは置いとくとして

沢木:俺は今まで書きたいものを書いてただけだから

逢沢:それが凄いんですよ。悔しいですけど、やっぱり沢木さんって書き手としての才能はあるんだなって

沢木:そんなことは……

逢沢:本人が自覚してようがしていまいが事実ですから

沢木:……

逢沢:なるほど、それで家出してきたんですね

沢木:……目の前が真っ暗になるんだ

逢沢:え?

沢木:机に向かって原稿用紙を広げて、ペンを握る。そこまでは出来るんだ……

   ただ、書き出そうとすると、息が出来なくなる

逢沢:……

沢木:溺れるみたいにだんだん苦しくなって……気が付くと汗びっしょりで原稿用紙を破り捨てている自分がいる

逢沢:だから、書けない?

沢木:あぁ……

逢沢:いつから?

沢木:……三日前……かな?

逢沢:三日前……何か思い当たる原因はありますか? 悪いものを食べたとか

沢木:いや

逢沢:……となると原因は……

沢木:(遮って)なぁ、逢沢

逢沢:はい

沢木:このまま、見逃してくれないか?

逢沢:は?

沢木:俺がここに来たこと、誰にも言ってないんだよな?

逢沢:はい

沢木:だったら、俺、準備してすぐに出てくからさ

逢沢:……どういうつもりですか?

沢木:……

逢沢:……それは、作家を辞めるってことですか?

沢木:そう、なるのかな……


   間。


逢沢:馬鹿なんですか?

沢木:え?

逢沢:大学出てからずっと作家をしていて、他に働いた経験もない、生活能力も乏しい人間が

   この先、どうやって生きていくつもりですか?

沢木:それは……

逢沢:見損ないました

沢木:……

逢沢:連載も抱えて、これからの出版の予定もあって……

   そんな人がたった一回の、しかも、初めてのスランプで逃げ出すんですか?

沢木:……

逢沢:そんなの、沢木さんらしくないです

沢木:(ぽつりと)……俺、らしい……

逢沢:沢木さんは……

沢木:(遮って)止めてくれ!

逢沢:っ!

沢木:俺らしいってなんだ? お前は俺の何を知ってるんだ?

逢沢:……

沢木:何も知らないくせに、わかったように説教するな!

   この苦しみは、悩みは俺だけのものであって、誰にもわからない!

逢沢:……えぇ、私は沢木さんの……先輩の苦しみはわかりません

   おっしゃる通り、その苦しみは貴方だけのものだから

沢木:(激しく肩で息をしている)

逢沢:でも、一つだけ言えることあります

沢木:(息を整えようと必死に呼吸する)

逢沢:貴方は、それで後悔しませんか?

沢木:っ!

逢沢:私の知っている沢木先輩はいつでも自分のことより他人のことでした

   本当に見てて心配になるくらいに

   そんな貴方が、一時の恐怖に負けて、逃げ出して……後悔しませんか?

   逃げた後に起こるであろう出来事、全部抱えて生きていくことができますか?

沢木:……

逢沢:逃げるのが悪だなんて、私は思っていません。逃げることだって時には必要ですから

沢木:なら……

逢沢:でも、逃げるにはまだ早くないですか?

沢木:え?

逢沢:……私では、頼りになりませんか? 先輩の助けになりませんか?

沢木:あい……ざわ……?

逢沢:私だって作家です。先輩の後輩ですけど、年下ですけど、近しい存在ではあると思ってます

   先輩みたいにヒット作ばっかりじゃないし、有名じゃないけど、付き合いだけは長いんですよ

沢木:……

逢沢:そんな作家・沢木透が死のうとしてるときに何の力にもなれないなんて……

沢木:死のうとなんて……

逢沢:してますよね?

沢木:……

逢沢:先輩ご自身は死ななくても、作家・沢木透は死にます。確実に

沢木:……死……

逢沢:作家である先輩が死んだら、その先、先輩自身だって……私は嫌です

沢木:……逢沢……

逢沢:嫌です。だから、逃げる前に頼ってください

   頼るなんてしなくてもいい、せめて、今抱えてる感情をぶちまけていってください

沢木:……感情……

逢沢:負の感情なんて持ってていいものじゃない。吐き出せるときに吐き出せる人の前で吐くのがベストです

沢木:……


   間。


沢木:三日前……

逢沢:はい

沢木:パソコンを開いたんだ

逢沢:え?

沢木:飯田にもらった手前、使わずにいたら申し訳ないかなって思って……

   それで興味本位でインターネットを開いたんだ。そして、これまた興味本位で自分の名前を入れてみた

逢沢:はい

沢木:最初は驚いたんだ。自分の経歴や作品名がずらっと並んでいて、純粋に凄いと思った

   こんなにたくさんの人が自分を知ってくれていると思うと嬉しかった

逢沢:……

沢木:だから、もっと知りたくてどんどんページを開いていった

   ……何個目かのページを開いた時、今までとは違うものに出会ったんだ

逢沢:違うもの?

沢木:匿名掲示板、だったっけ? 匿名で誰でも書き込める所

逢沢:え、えぇ……

沢木:そこに行きついたんだ。そこにも俺の名前がいっぱい書かれていて、どんな内容なんだろうって思って開いたんだ

逢沢:あ……

沢木:書いてあったよ、いろんなことが……今まで触れたことのない読者の感想が……

逢沢:……

沢木:「あれのどこが面白いの?」、「今回も期待外れだった」、「一回賞とか受賞したら他はどんなのでも売れっ子扱いだよな」、「あいつの作風には反吐が出る」

逢沢:っ!

沢木:……あぁ、世間から俺はこんな風に見られていたんだと思った

   今までにもお叱りのファンレターをもらったことはあったが、それは氷山の一角にすぎなかったんだ

   俺は俺が面白いと思うものを書いて形にしてきたけれど、それじゃいけなかったのかって……

   次の作品はいいものを、受け入れてもらえるものを書こうってそう思ったんだ

   でも、いざ原稿用紙に向かいペンを握ると、何を書けばいいのか分からなくなった

   どんなに書いても書いても背後から声がしたんだ

   「それは本当に面白い作品なのか?」と……

逢沢:……そうしたら、書くことが出来なくなった、と?

沢木:……あぁ……


   少しの間。


逢沢:……やっぱり、先輩はネットに向いていませんね

沢木:え?

逢沢:文字という情報に踊らされ過ぎです。私たちは作家、文字を操る側ですよ

沢木:……

逢沢:まぁ、今まで知らなかった世界を知って手放しで楽しかったのに、急に後ろから鋭利な刃物で刺されるようなことされたら先輩じゃなくてもそんな反応になると思いますが

沢木:……まるで子どもだな

逢沢:急に物騒な例えですね。でも、確かにその通りです。先輩は子どもです

沢木:……

逢沢:匿名掲示板なんて、あんなもの半数以上は悪意の掃き溜め、言葉の墓場ですよ

沢木:……墓場……

逢沢:あぁ、墓場という表現も正しくはないかもしれませんね。ただの悪意の沼です。ヘドロの

沢木:……

逢沢:嫉妬、羨望、憧れ……それを人間の本能のままにぶつける場所です。そこに理性なんて物はなにもない

沢木:……

逢沢:先輩はそんな野生の言葉を信じるんですか?

沢木:え?

逢沢:そんな誰が書いたともしれない、通り魔のような言葉を胸に刻むんですか?

沢木:……それは……

逢沢:貴方のことを、貴方の作品を好きだと言ってくれている人の言葉を信じてはくれないのですか?

沢木:っ!

逢沢:飯田さんや、私の言葉を信じてはくれないのですか?

沢木:あ……あぁ……っ!

逢沢:何事にも真っ新な状態で向き合えるのは先輩の凄い所ですけれど、全てを鵜吞みにしようとするのは悪い所です

   どんな物語を書く時でもちゃんと調べなくてはいけない。常々そう言っていたのは誰ですか?

沢木:かな……え……

逢沢:たった一つの通り魔の言葉に目なんて向けないで

   貴方に届いている好きを、貴方の傍にある貴方のための言葉を信じてください

沢木:(小さく嗚咽が漏れる)

逢沢:そこにあるのは貴方の為に産まれた言葉たちなんですから

沢木:(顔を覆い泣く)




●数十分後

   涙でぐちゃぐちゃになった沢木。

   逢沢がタオルを差し出す。


逢沢:はい、タオル、使ってください

沢木:……すまん

逢沢:(小さくため息をついて)本当に先輩ってアナログ人間が似合いますよね

沢木:……

逢沢:飯田さんに言ってパソコンに権限つけてもらっておかないと

沢木:俺は子どもか

逢沢:そうやって言葉に踊らされてるのは子どもの証拠かと

沢木:……気を付ける

逢沢:そうしてください

沢木:……あぁ

逢沢:……

沢木:……

逢沢:……さて、それじゃあ時間も時間だし、ご飯でも食べますか

沢木:え?

逢沢:さっさとご飯食べて、飯田さんに生存確認の連絡入れないと。このまま帰したらご飯も水すらも飲まないままに何日か徹夜しそうでから

沢木:……逢沢……

逢沢:書くんでしょ、沢木さん

沢木:……あぁ

逢沢:じゃあ、まずは胃になんか入れましょう。もちろん、沢木さんの奢りで

沢木:(小さく笑って)容赦ないな

逢沢:(微笑んで)そりゃ、私ですから



―幕―




2025.02.11 HP投稿

お借りしている画像サイト様:フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)

紅く色づく季節

こちらは紅山楓のシナリオを投稿しております。 ご使用の際は、『シナリオの使用について』をお読みくださいませ。 どうぞ、よろしくお願いいたします!

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