血に濡れた想い


【詳細】*こちらのシナリオには殺人のシーンがございます。ご注意ください。

比率:男3:女2

和風・サスペンス・ミステリー

時間:約65分~70分

*こちらのシナリオには人間が殺されるシーンがございます。苦手な方はご注意ください。


【あらすじ】

時は大正。

穏やかな街で起こった奇妙な連続殺人事件、『吸血鬼殺人事件』。

その遺体には全て、『全身の血が抜かれる』という共通点があった。


街で探偵事務所を営む倉敷の下には今日も迷い猫や探し物、浮気調査等の依頼が集まっていた。

世間では事件が起こっているのに、何らいつもと変わらない探偵事務所の日常。

そんな倉敷を一人の女性が訪ねてくる。

「姉を捜してほしいんです」



【登場人物】

 倉敷 勇:(くらしき いさみ)

       30代探偵。

       普段はやる気がなくけだるげだが、実は腕の立つ探偵。


 大町 実:(おおまち みのる)

       20代前半。

       勇の助手。普段は勇の世話と探偵事務所の仕事に追われている。

       誰にでも優しくて紳士。故に勘違いされやすい。

       また少し惚れやすい一面も……


 萩本文子:(はぎもと ふみこ)

      17歳。

      九条家に通いで奉公に出ている。

      姉の萩本幸子(さちこ)のことが大好き。

      病弱な母と大病を患っている弟がいる。

      父親はすでに他界。


九条千代子:(くじょう ちよこ)

      30代。

      九条家の次期当主・九条盛隆(もりたか)の妻。

      美しい容姿と優しい心の持ち主で評判も高い。


田中 四郎:(たなか しろう)

       30代。

       九条家の使用人頭。

       千代子の傍に常に控えている。




●九条の屋敷

   風呂に入る千代子。傍らには使用人の四郎が控えている。

   風呂の液体をすくい、身体に染み込ませる千代子。


千代子:ねぇ、四郎

 四郎:はい、奥様

千代子:……私、綺麗?

 四郎:はい、もちろんでございます、奥様

千代子:(嬉しそうに微笑んで)これで、旦那様の機嫌も良くなってくれるかしら?

 四郎:……もちろんでございます

千代子:(微笑んで)あぁ、早くお帰りにならないかしら

 四郎:……




●倉敷探偵事務所・昼

   ソファーで横になりくつろぐ勇。周りで忙しそうに動き回る助手の実。


  勇:(欠伸をしながら新聞を開く)『現代の吸血鬼出現か!』。へぇ、血の無い遺体ね……

  実:ちょっと、先生!

  勇:(気怠そうに)なんだい、大町君?

  実:「なんだい?」じゃなくて! (勇の持つ新聞を見て)あ、今日もまた『吸血鬼』が出たんですか

  勇:吸血鬼? 大町君、君は何を言っているんだい?

  実:え?

  勇:ここは日本だぞ? それにそもそも吸血鬼なんて西洋の御伽噺の中の人物だろう

  実:(呆れながら)先生、ご存知ないんですか? 今、世間を騒がせている殺人犯のことですよ

  勇:ほぅ

  実:もう! 探偵なんですから、世間のことに少しは興味を持ってください! ここ連日、新聞で騒がれているじゃないですか!

  勇:そういえば、そんな見出しがよく載っていたな。あまりにもチープな見出しばっかりで新聞屋が客の目を引きたいのだとばかり思っていたよ

  実:……先生

  勇:それで、大町君、その『吸血鬼』とは?

  実:(ため息)ここ最近、連続で全身の血が綺麗に抜き取られた遺体が何体か見つかっているんです

  勇:それで『吸血鬼』か

  実:はい。しかも、被害者は全て女性の方だという……

  勇:なるほど。だが、その割には警官の見回り等が強化された感じはしないな

  実:そりゃそうですよ。遺体が発見されているのはここら辺ではありませんから

  勇:と、言うと?

  実:発見された場所は全て名家のお屋敷ばかりが並ぶ区画だとか。確か、新聞に……

 

   実、勇の見ている新聞を覗き込み。

  

  実:あった! このバツ印がその遺体の発見場所です

  勇:……あぁ、あそこらか

  実:世間では名家や政治家に対する脅しじゃないかって噂も出ています

  勇:ほぅ

  実:特に九条家のご当主は、我々の尊厳がどうとかで大そうお怒りだそうで。犯人を捕まえたものには報奨金を出すと言っているとか

  勇:尊厳ねぇ。まぁ、これだけ近くで遺体が見つかればああいった高貴な部類の人間は慌てるだろうねぇ

  実:高貴な方々じゃなくても慌てますよ!

  勇:(苦笑して)大町君は純粋だね

  実:?

  勇:いや、わからなくていい。そのままでいてくれ。だが、そうか。ネーミングはチープだが……これは、面白そうだ。どれ……


   勇、ソファから重い腰を上げ、外出の準備をしようとする。


  実:ちょ、ちょっと、先生!

  勇:ん~?

  実:何をしようとしてるんですか!

  勇:何って、ちょっとばかし吸血鬼事件の捜査を……

  実:(遮って)仕事してください、仕事!

  勇:仕事?

  実:そうです!

  勇:そんな大そうな依頼でも入って来たのかい?

  実:そ、それは……

  勇:どうせ、いつもの捜し猫や浮気調査の依頼だろう?

  実:小さい仕事でも、仕事は仕事です!

  勇:大町君、私はもっと大きな仕事をしたいんだ。そう、例えばこの『吸血鬼』のような殺人事件の犯人を捕まえたり……

  実:大きな仕事を望む前に、目の前の仕事を片付けてください。うちの探偵事務所の収入源の内訳、わかってますか?

  勇:……

  実:捜し猫、探し物、浮気調査。これでこの事務所は成り立っているんです

  勇:……

  実:さぁ、わかったらさっさと仕事してください

  勇:……うむ……


   事務所のドアが開く。


 文子:ごめんください

  実:はい! 倉敷探偵事務所にようこそ! 何か当探偵事務所にご依頼ですか?

 文子:はい

  実:かしこまりました! どうぞこちらへ! 先生、お客様ですよ!

  勇:(欠伸をする)

  実:先生!

  勇:(気怠そうに)はいはい

 文子:……

  実:(文子の表情を見て)す、すみません。どうぞ、こちらへ

 文子:は、はぁ……

  実:(小声で)先生、ちゃんとしてください!

  勇:はいはい。どうぞ、座ってください

 文子:失礼します(ソファに座る)

  実:それで、本日はどのようなご依頼ですか?

  勇:迷い猫、探し物、浮気調査、雑用雑務、何でもやりますよ~

  実:ちょっと、先生!

  勇:なんだい? 大町君。驚くことはないだろう。さっき君が言ったんじゃないか

  実:そこまで投げやりに言ってません! それっぽいことは言ったかもしれませんが……言い方です!

  勇:はいはい。それで、どういったご用件ですか?

 文子:……やっぱり、帰ります

  実:えぇ!

  勇:そうですか。では、お帰りはあちらです

  実:ちょっと、先生! お客様、すみません! こんな先生ですが、腕前は確かなので!

  勇:……大町君

  実:先生は黙っていてください

  勇:……

 文子:……

  実:よかったら、お話だけでもお聞かせ願えませんか? お客様はとても思いつめた顔をしてらっしゃる。お話をされるだけでも、幾分、気持ちが落ち着くこともあるでしょうし……あぁ、もちろん、お聞かせいただいたお話は守秘義務がございますので絶対に他言いたしません

 文子:……わかりました

  実:よかった! では、改めて。ようこそ倉敷探偵事務所へ。ご依頼内容をお聞かせ願えますか?

 文子:……行方不明の姉を捜してほしいんです

  実:行方不明?

 文子:はい

  勇:駆け落ちかい?

 文子:違います!

  実:先生!

  勇:これは、失礼

 文子:姉はそんな人じゃありません! ……絶対に、姉は駆け落ちなんてしません……

  実:すみません、お客様。よろしければ、続きをお聞かせ願えますか? 行方不明とはいつ頃からですか?

 文子:……正確な日にちはわかりません

  実:わからない?

 文子:姉がいなくなったと聞かされたのはつい先日のことで

  実:……先日ですか。お客様はお姉様とは別々に暮らしていらっしゃったのですか?

 文子:はい。私の姉は九条家に住み込みで働かせていただいておりました

  勇:(急に仕事モードになり)九条?

  実:せ、先生?

  勇:その話、詳しく聞かせてくれないか?

 文子:え?

  勇:君のお姉さんは九条のお屋敷で働き、そして行方不明になったんだな?

  文子:……はい




●倉敷探偵事務所・夕方

   資料を見る勇。書類を持ちそれを見つめる実。


  勇:……

  実:……

  勇:ん? どうした大町君?

  実:先生こそ。いったいどうしたんですか?

  勇:どうしたとは?

  実:急にやる気を出して……

  勇:いや、なに、凄い事件があちらから舞い込んできたんだからね。やる気にもなるよ

  実:凄い事件?

  勇:(楽しそうに笑って)では、資料の説明を頼む

  実:は、はい。では。依頼人は萩本文子、十七歳。依頼内容は姉である萩本幸子、二十歳の捜索です

  勇:なるほど

  実:なるほどって……先生、一緒に聞いてましたよね?

  勇:聞いていたとも。しかし、いや、すまんね。あの時、私は違う資料を探していてね……聞いてはいたが、理解はしていなかった

  実:……わかりました。では、途中を省かずにきちんとご説明しますね

  勇:あぁ、頼む

  実:(ため息)萩本姉妹は数年前から九条家に奉公に出されていました。姉の幸子は住み込みで、妹の文子は通いでの奉公だったみたいですね

  勇:ほぅ、姉妹で別々の奉公の仕方か。珍しいね

  実:そうですね。彼女たちには父親はおらず、病気がちな母親と大病を抱えた幼い弟がいたそうです。そのため、心配した九条家のご子息の奥様が幸子だけを住み込みで、文子は通いでの奉公をという形をご自分たちの屋敷でとらせたのだとか

  勇:なるほど、それで。九条家のご子息の奥様はいい奥様だね

  実:そうですね。上に立つ御仁の奥方の鑑のような方との評判を聞きますね。美しく、優しく、聡明だと。多方面からの奉公の申し出も断らず受けているようで。、本家では門前払いでもご子息のお屋敷でならば受け入れてくださる可能性もあるのだとか。それに、奉公される方の出自に関係なく平等に接してくださると

  勇:まさに聖人のようなお人だ

  実:はい。でも、それに引き換え、次期ご当主であられる旦那さんの方は地を這うような評判の悪さです

  勇:ほぅ、これまたどんな?

  実:(ため息)男のダメなところを全部詰め込んだような人ですよ。賭け事が大好きで外に愛人を何人も作る。しかし、出来た子どもは全て堕胎させる。なんでも、自分の遺産は自分一人のものだというバカみたいな理由らしいですが

  勇:……それは……救いようのない……

  実:本当です。そのように素晴らしい奥様が何故そんな男の元にいるのか不思議でなりません

  勇:ふむ……となると、安直だが、その旦那様がお姉さんに手を出して、どこかに連れ攫ったという可能性は?

  実:それは、僕も考えましたが、なさそうです

  勇:ほぅ、何故?

  実:九条氏は一か月前から他県に出向いているのです

  勇:他県に?

  実:はい。その間、文子さんは幸子さんに何回か会っています。そして、この一か月の九条家の馬車の目撃情報は無しです

  勇:なるほど、それは連れ去ることも、追いかけることも不可能だ

  実:流石に馬車なんて大きいもの、誰の目にも触れずに移動するなんて出来ませんからね

  勇:警察への捜索願は出ているのかな?

  実:それも先生に言われた後調べました。九条の方からは捜索願い等は出されていませんでした

  勇:なるほどな(椅子から立ち上がる)

  実:先生?

  勇:では、今日はこれで解散だ

  実:えぇ!

  勇:色々聞きたいことも調べたいこともあるが、百聞は一見に如かずだ

  実:え?

  勇:明日、九条家に行くぞ!

  実:えぇ!




●翌日・九条の屋敷前・昼間

    大きな門を見上げる実。


  実:うわぁ……大きいお屋敷だとは思っていましたが、ここまで大きいとは……

  勇:確かに、近くで見るとより迫力があるね

  実:あの、先生?

  勇:なんだい、大町君?

  実:本当に先方とお約束を取り付けているんですか?

  勇:あぁ、もちろんだ

  実:一体、いつの間に……

  勇:ふふふ、私は出来る探偵だよ?

  実:それをいつも発揮してくださると頼もしいのですが?

  勇:それは考えておこう

  実:……期待しないでお待ちしております

  勇:そうしてくれ

  実:それで、ここからどうしたらいいんですか? 呼び鈴もないですし……

  勇:……そろそろかな?

  実:え?


   屋敷の門が開く。


 四郎:お待ちしておりました。倉敷様と大町様ですね

  実:え、あ、はい!

 四郎:私、九条家の使用人頭を務めさせていただいております、田中と申します

  実:あ、ご丁寧にありがとうございます。大町です

  勇:倉敷です。今日は急な訪問にも関わらず、お時間を作ってくださってありがとうございます

 四郎:いえ。奥様からのご指示ですので

  勇:ありがたいです

 四郎:……では、こちらのお部屋へどうぞ、奥様がお待ちです




●九条の屋敷・応接間

   扉が開く。


 四郎:奥様、お二人をお連れいたしました

千代子:ありがとう、四郎。はじめまして、倉敷様。私はこの屋敷の主、九条盛隆の妻、九条千代子と申します。倉敷先生のお噂はかねがね

  勇:改めまして、倉敷勇と申します。本日はお忙し中、お時間を作ってくださってありがとうございます。噂とは……

千代子:もちろん、良いお話ですわ。倉敷先生の手にかかれば、失せものや捜し猫も簡単に見つかると評判です。私も何か失くしてしまったときは頼らせていただきたいと思っております

  勇:おぉ、ぜひぜひ。ご依頼、お持ちしております。奥様からのご依頼とあれば、何をおいても先にお力にならせていただきます

千代子:ありがとうございます。あ、そちらの方は……

  勇:あぁ、ご紹介が遅くなってしまって申し訳ございません。こちらは、助手の大町です

  実:(千代子に見惚れ)……

  勇:おい、大町君?

  実:え? あぁ! すみません! つい、奥様に見惚れてしまって……

千代子:(微笑んで)あら

  勇:ほぅ、大町君も男だね

 四郎:(咳払い)

  実:ちょっ、先生! 何を失礼なことを言ってるんですか! 奥様、申しわけございません!

千代子:いえいえ、お世辞でもそう言っていただけて嬉しいですわ

  実:そんな、お世辞なんかじゃありません!

千代子:(優しく微笑み)ありがとうございます。それで、本日のご用件は……

  勇:はい。実は、こちらのお屋敷で働かれている萩本幸子さんにお会いしたく

千代子:……幸子さん

  勇:はい。こちらのお屋敷で働いていらっしゃいますよね?

 四郎:彼女にどういったご用件で?

  勇:実は、誰とはお教えすることは出来ないのですが、彼女とずっと文通をしている方がいらっしゃいまして。最近全然連絡が取れなくて心配だとご相談いただいたんですよ

千代子:そうだったのですね……

  勇:はい。幸子さんがこちらのお屋敷でお仕事をしていたことはご存知だったようですが、いかんせん、九条様の大きなお屋敷。連絡が取れないと言った小さなことで自分ごときがお訪ねしてもよろしいものかと迷ってらっしゃって。それで、私に幸子さんがお元気かどうか訪ねてきてほしいとご依頼が

千代子:それはそれは……

  勇:それで幸子さんは……

 四郎:先日まではこの屋敷に住み込みで働いていただいておりました

  勇:先日まで? では、今はいらっしゃらないと?

 四郎:はい。実は、私どもも困っておりまして

  実:困る?

 四郎:はい。急に姿を消しまして。彼女の仕事は奥様の身の回りのお世話だというのに……こんなにも名誉ある仕事を投げ出して、どこに行ったのやら……

千代子:四郎。おやめなさい。お客様ですよ

 四郎:……失礼いたしました

千代子:お見苦しいものを

  勇:いえ。それだけ突然のことだったのだとお見受けいたします。住み込みで働いていた方が、それも身の回りのことをしてくれていた方が急にいなくなってしまっては困りますよね

千代子:お気遣い、ありがとうございます

  勇:いえ。して、彼女がいなくなってしまった理由にお心当たりは?

千代子:いえ、全く……

  実:田中さんも?

 四郎:はい。少しも

  勇:……そうですか

千代子:お力になれなくて、申し訳ありません

  勇:いえ、奥様。本日お時間をいただけただけでも嬉しいです

千代子:(何かを思い出したように)あ

  勇:どうかされましたか?

千代子:うちには幸子さんの妹さんの文子さんという方もお仕事に来てくれています。もしかしたら、彼女なら何か知っているかもしれません。四郎

 四郎:はい、奥様

千代子:文子さんは今日、お仕事の日だったかしら?

 四郎:そのはずでございます。この時間であれば、キッチンにいるのではないかと

  勇:なるほど。では、彼女にお話を伺いに行ってもよろしいですか?

千代子:かまいません。大丈夫よね、四郎?

 四郎:はい。料理番には私の方から連絡をいたします

千代子:お願いね。こんなことくらいしかお力になれませんが、時間は気にせず、彼女にお話を聞いてみてください。少しでも倉敷先生にご依頼された方の心労を減らしてくださるようなお話が聞けるとよいのですが……

  勇:ありがとうございます

千代子:(優しく微笑んで)では、四郎

 四郎:はい、奥様

千代子:お二人をキッチンまでご案内して差し上げて

  勇:おっと、そこまでお手を煩わせてしまうのは申し訳ない。キッチンまでの道順を教えていただければ、大町と二人で伺わせていただきます。な?

  実:は、はい!

千代子:お気遣いは嬉しいのですが……この屋敷はきっと倉敷先生が思ってらっしゃる以上に広いですよ?

  勇:こちらこそ、お気遣いありがとうございます。もし迷ってしまったら使用人の方にお訪ねさせていただくことにしますのでご安心ください

 四郎:かしこまりました。では、キッチンまでは、先ほどの玄関までお戻りいただいて、階段を背にして右にお進みくださいませ。そのまままっすぐ行けばキッチンでございます

  勇:ありがとうございます。では。大町君、行こうか

  実:はい! あ、奥様!

千代子:はい

  実:必ず、幸子さんの行方を突き止めて見せます。ですので、そのような不安そうなお顔をなさらないでください

千代子:……大町様

実:では、失礼します!


   勇、実、部屋から去る。


千代子:……四郎

 四郎:はい、奥様

千代子:早急に幸子さんのことを依頼した人物を調べなさい

 四郎:かしこまりました

千代子:(嬉しそうに微笑んで)

 四郎:奥様?

千代子:……四郎、あの方々、美しかったわね

 四郎:……そうでしょうか? まぁ、あの大町とかいう助手の方はわからないでもありませんが……

千代子:そうね。彼は見た目も、中身も綺麗そうだったわ。でも、あの倉敷先生も綺麗な目をしていた

 四郎:……目、ですか?

千代子:彼らは捧げものにふさわしいかしら?

 四郎:……奥様の湯への材料としては不適切だと思います

千代子:あら、どうして?

 四郎:彼らは男です

千代子:そうね。でも、美しいものならいいと思わない?

 四郎:奥様

千代子:それに、久しぶりにあんな男らしい方にお相手いただくのもいいわね

 四郎:……

千代子:雰囲気が旦那様に似ているし、きっと、あの腕は力強くて……

 四郎:(少し強い口調で遮る)奥様

千代子:(微笑んで)冗談よ

 四郎:ご冗談が過ぎます

千代子:あら、それは心配からの言葉? それとも……

 四郎:奥様

千代子:はいはい。わかったわ。でも、人魚様への供物としてはいいんじゃないかしら

 四郎:それにつきましては、異論はございません

千代子:(微笑んで)今度こそ、人魚様は気に入ってくださるかしら? 早く、あの方の肉が手に入らないものかしら……

 四郎:今度こそは

千代子:……そうね……




●九条の屋敷・廊下

   キッチンへと向かう、勇と実。


  勇:さてさて、やはり彼らは幸子さんが屋敷からいなくなっていたことを把握していたね

  実:……

  勇:では、どうして彼らはそんなに騒いでいなかったのか。自分の家の使用人が急にいなくなったんだ。普通なら捜索願やらなんやらを出していてもおかしくないはず

  実:……

  勇:お家のイメージを守るため? いや、あの奥様ならばそんなことより使用人の安否を気にするだろうし、使用人頭の彼なら隠蔽しうるか……

  実:……

  勇:ん? 大町君?

  実:……

  勇:お~い、大町君!

  実:え、あ、はい! 何でしょう?

  勇:「何でしょう?」ではないよ。どうしたんだい、そんなにぼーっとして

  実:い、いえ……

  勇:(察して)はは~ん。なるほどな

  実:な、なんですか!

  勇:大町君、君、あの奥様に惚れたな?

  実:はぁ?

  勇:図星だろ?

  実:そ、そんなことは!

  勇:いや、隠さなくてもいい。確かに奥様はお綺麗だったしね。年齢的には私よりも上のはずなんだが……

  実:えっ! そうなんですか!

  勇:あぁ、そうだよ。なんだ、知らなかったのかい?

  実:あんなにお綺麗なのに……

  勇:女性は化けるのがいろいろと得意だからね

  実:化けるなんて、失礼ですよ!

  勇:おやおや、随分とお熱なことだ

  実:なっ!

  勇:ここは天下の九条家だ。愛人の一人や二人なら許されそうだしね。君も名乗りを上げてみてはどうだい?

  実:先生! 失礼ですよ!

  勇:おやおや。……君は気付かなかったのかい?

  実:え? なんのことですか?

  勇:いや、なんでもないよ

  実:先生! 一体なんなんですか!


   キッチンへと続く廊下から文子か歩いてくる。


 文子:(二人の姿を見つけて)……あ……

  勇:おや?

  実:あ! 文子さ……

  勇:(素早く遮って)初めまして、私、倉敷探偵事務所にて探偵をしております、倉敷勇と申します

 文子:…… え?

  勇:こちらは助手の大町です

  実:え? (倉敷の意図を察し)あ! どうもはじめまして! 大町実と申します

 文子:はぁ……

  勇:今日はこちらのお屋敷に萩本幸子さんの件でお邪魔させていただいております。怪しい者ではないのでご安心ください

 文子:(戸惑いつつも)……はい

  勇:それで、つかぬことをお伺いいたしますが、こちらのお屋敷に幸子さんの妹さんがいらっしゃると奥様に教えていただいたのですが、どの方か教えていただいてもよろしいですか?

 文子:それでしたら、私のことです。萩本幸子は私の姉です

  勇:おや、なんと言う偶然。ちょっとお訪ねしたいことがいくつかありまして、お時間よろしいでしょう

 文子:はい。先程、田中さんからの伝言で、仕事はいいので倉敷様と言う探偵様に協力をと言われましたので

  勇:さすが、使用人頭。お仕事が早くて助かります。どこかゆっくりとお話出来る広い場所があれば嬉しいのですが……

 文子:それなら、お庭のベンチでお話などいかがでしょうか?

  勇:おや、私どもがお庭にお邪魔してもいいのですか?

 文子:流石に庭園の方へは田中さんのご許可をいただかなければ入れませんが、私どもが休憩に使わせていただいているお庭でしたら問題ありませんので

  勇:ほぅ、では、そちらでゆっくりとお話を伺わせていただきます

 文子:はい。では、こちらでございます


   三人、庭へと去る。陰からその様子を伺う四郎。


 四郎:……




●九条の屋敷・休憩所

   少し辺りを警戒する勇。


  勇:……ここまで来れば大丈夫かな

  実:もう、先生、先に言っといてくださいよ! びっくりしたじゃないですか

  勇:すまんね。まさかこういう展開になるとは予想してなかったんでね。でも、二人とも、察しがよくて助かったよ

  実:急に初対面のふりをするなんて、何かあったんですか?

  勇:いや、屋敷の中じゃどこで誰が聞いているかなんてわからないからね。念には念を。しかし、ここまで開けた場所ならば隠れられる所はない。立ち聞きされる心配はないだろう

  実:ん? どういうことですか?

  勇:事の真相と原因はどこに隠れているかわからないからね

 文子:……それで、姉のことは何かわかりましたか?

  実:……まだ、何も……

 文子:……そうですか

  実:すみません。お力になれなくて

 文子:いえ、こちらこそ、ありがとうございます

  実:え?

 文子:お願いしたのはいいものの、相手は九条のお家(いえ)。こんなに早く動いてもらえるなんて思っていなかったので。嬉しいです

  実:そんな! すぐに動かなくてどうするんですか!

 文子:え?

  実:だって、目の前に困っている人がいるんですよ? だったらすぐに動かなくちゃ! それに、文子さんのその不安そうなお顔をずっと見てるなんて、僕には出来ないです

 文子:……大町さん

  勇:ほうほう、大町君も隅におけないね~

  実:え?

  勇:文子さん、この男は誰にでも優しいところがあって優柔不断に見えるやもしれませんが、真面目でいい男でしてね。今後とも仲良くしてあげてください

  実:ちょ、ちょっと、先生!

 文子:(微笑んで)はい。お優しいのは昨日事務所にお邪魔させていただいた時から存じ上げております

  実:文子さんまで!

  勇:さてさて、そろそろ話しを戻そうか

  実:脱線させたのは先生です!

  勇:幸子さんのことですが、奥様や田中さんは彼女の失踪を把握されていました

 文子:当然です。姉は奥様の身の回りのお世話をしていたのですから、姿が見えなくなったのであればお二人が知っていてなんらおかしなことはありません

  実:そうですね。奥様は噂通りのお優しい方でしたし、とても心配されていましたしね

  勇:そうだな。でも、そうであるならば、一つ疑問が残る

  実:疑問?

  勇:大町君……君、本気でさっきの私の話を聞いていなかったんだね……

  実:え?

  勇:(大げさにため息をつき)大町君。大事な人やいなくては困る人が行方不明になったとき、君ならどうする?

  実:もちろん、探します!

  勇:そうだろう、それが普通だ。だがしかし、どこを探しても見つからなかったら?

  実:え? 見つからなかったら、そりゃ……あっ!

  勇:そう、警察に捜索願を出すはずだろう?

  実:確かに!

  勇:だが、君は昨日なんて私に報告してくれた?

  実:警察には捜索願は出されていませんでした……

 文子:そんな!

  勇:何故だろうね?

  実:お家のイメージを守るため?

  勇:その可能性もあるね。それか……

  実:それか?

  勇:文子さんに気が付かれなければ、そのままこの事実を。幸子さんが消えてしまったという事実を隠蔽しておきたかったのかもしれないね




●九条家・お屋敷の使用人出入口・夜

   裏口から出てくる文子。


  実:あ、文子さん!

 文子:大町さん! ど、どうされたんですか? こんな時間に……

  実:実は、文子さんのことが心配で……

 文子:え?

  実:……今日、昼間にいろいろお話いただいたじゃないですか

 文子:えぇ……

  実:お姉さんが行方不明になってしまった件と奥様方が捜索願を出していなかったこと。このことの真意がどこにあるかわからないですから

 文子:……そうですね……

  実:あぁ、でも、詳しいことは先生が調べてくれていますから、安心してください!

 文子:はい

  実:だから、僕は僕に出来ることをしに来たんです

 文子:出来ること?

  実:僕たちが動いてしまったために、もしかしたら文子さんにも何か危険が及ぶんじゃないかって、あの後心配になってしまいまして。で、あるならば、せめてお家までお送りさせていただこうって

 文子:まぁ、そうだったんですか

  実:……ご迷惑でしたでしょうか?

 文子:いえ……嬉しいです……


   文子、そっと実に身を寄せる。


  実:ふ、文子さん!

 文子:すみません。大町さん、心配していただいたのに……

  実:い、いえ! これは本当に僕が勝手にしたことなので!

 文子:ありがとうございます。でも……(胸元からハンカチを取り出し、実の顔へと当てる)

  実:え?

 文子:……少しは疑うことも覚えた方が良いですよ

  実:……ふみ……こ……さ……(倒れる)

 文子:……ごめんなさい


   裏口が開き、四郎が出て来る。


 四郎:ほぅ、これは……手際がいいですね。本当に初めてですか?

 文子:田中さん!

 四郎:おやおや、そんな怖い顔をしないでください。もちろん、冗談ですよ。でも、こんなに簡単にいくとは思いませんでした

 文子:……

 四郎:裏口に彼がいたときは少々驚きましたが。それほど、貴女のことを思っていたんでしょうかね? 裏切られるとも知らずに。本当に、純粋さは時として仇にしかなりませんね

 文子:……これでよろしいですか?

 四郎:えぇ、上出来です

 文子:では、お約束通り、姉に会わせてください!

 四郎:そんなに会いたいのですか?

 文子:もちろんです! だから、こうやって田中さんのおっしゃる通りにしたんです!

 四郎:……わかりました……(文子に近寄りハンカチを当てる)

 文子:っ!

 四郎:貴女にも眠ってもらいましょう。あの神聖な部屋に入るのにはそんな穢れた思考のままではいけませんから




●九条の家・千代子の部屋・夜

   扉をノックする音。


千代子:どうぞ

 勇:失礼します

千代子:倉敷様、お待ちしておりました

  勇:このような時間にお招きいただき、ありがとうございます

千代子:こちらこそ、いらしてくださって嬉しいですわ

  勇:昼間のご様子から、てっきり大町君の方がお好みかと思ってましたが……

千代子:大町様ももちろん素敵な方ですわ。ですが、私は……


   勇に寄り添おうとする千代子。しかし、勇はさらりとかわす。


千代子:……

  勇:よろしいのですかな? いくら夜のこんな時間で人払いをしてあるといえど、あなたはこの屋敷の女主人でしょう

千代子:……倉敷様……貴方は、巷で私がなんと言われているかご存知ですか?

  勇:えぇ。とても聡明で美しく、素晴らしい奥様だと

千代子:そんなのは表面上のこと。皆、裏では、夫を他の女に寝取られ、それでも指をくわえて大人しくしている腰抜け。お飾りの妻と……

  勇:……それも存じております

千代子:私はお家同士のためにこの九条の家に嫁ぎました。政略結婚。当然のことながら、夫からは愛情を貰えず……それでも、精一杯夫を愛してまいりました。私は九条の次期当主の妻なのだからと。それなのに、夫は……(そっと涙を零す)

  勇:奥様……

千代子:あぁ、ごめんなさい。泣くつもりなんてなかったのに……

  勇:かまいません。泣きたい時は泣いたらいいんですから

千代子:お優しいのですね

  勇:そんなことありませんよ。男として当然のことをしているだけです

千代子:倉敷様……

  勇:なんでしょう、奥様

千代子:その優しさを少しだけ……今夜だけでもかまいません。私にくださいませんか?

  勇:……

千代子:それとも、こんなはしたない女は抱けませんか? 夫のある身でこのようなことを願う私など……

  勇:奥様、残念ですが、それにはお応えできません

千代子:……

  勇:ですが、その涙を拭って差し上げることは出来ます

千代子:……倉敷様……

  勇:(胸元からハンカチを取り出し)さぁ、これを……

千代子:(倉敷のハンカチを見て固まる)……

  勇:あぁ、ご安心ください。これはただのハンカチですので

千代子:……え?

  勇:このハンカチには何も染み込ませていませんから

千代子:……なに、を……?

  勇:なにをとは? いつも貴女が行っていることですよ。ハンカチに特殊な液体を染み込ませ、体温で温めて気化させ、それを相手に嗅がせることによって一時的に意識を遠のかせる

千代子:……

  勇:あたりですか?

千代子:……何故……

  勇:まさか、本当に当たるとは

千代子:え?

  勇:おかしいと思ったんですよ。こんな時間に貴女から呼び出されるなんて。そして、通されたのは貴女の寝室。しかも、田中さんもいない。何か人払いをせねばならない話をするにしても、この部屋の近くには彼はいるべきだ。それなのに姿も気配もない。よほど私が信頼されているのかと思いましが、今日初めて会った人間にそんな信頼など彼はおかないでしょう

千代子:……四郎がいないのは、私が内密に……

  勇:例え、それが奥様のご指示であったとしても。こんな時間のこの場所に彼がにいないこと自体がおかしいんですよ

千代子:何故?

  勇:昼間に会ったときの彼の目はとても攻撃的でした。穏やかな口調の裏に絶対的な威嚇を隠していた。それが何であるのか、男ならばすぐにわかる。

千代子:……

  勇:そんな彼が、私とあなたをこんな時間に二人っきりになどしないでしょう?

千代子:……

  四郎:やはり、貴方にはいろいろと気付かれていましたね

  

   物陰から四郎が現れる。


千代子:四郎!

 四郎:奥様、だから私は反対したのです。このような男はお辞めになった方がよろしいと

千代子:……ごめんなさい

  勇:ほぅ、やはり来たか……気配を消すのがお上手ですね。ただの使用人頭とは思えませんね

 四郎:お褒め頂き光栄です。貴方のご推測の通り、私は初めてお会いした方を信用するなんてことはありえません。いえ、何人たりとも信用はいたしません。人間なんて裏切るのが常ですから

  勇:真理ですね

 四郎:随分とお気持ちに余裕があるのですね

  勇:そうですね。私は今貴方方を追い詰める側だ。寧ろワクワクしていますよ。この事件の全容が私の手で明らかになるんですから

 四郎:事件?

  勇:『吸血鬼』

千代子:っ!

  勇:今、巷で騒がれている女性だけが襲われている連続殺人事件です。もちろん、ご存知ですよね?

 四郎:えぇ、存じ上げております

  勇:この事件、とても気になっておりまして。私も調べ始めたんですよ

 四郎:左様ですか

  勇:そしたら、とても不思議なことが分かりましてね

 四郎:不思議なこと?

  勇:この事件の被害者の女性の方々の捜索願が出されていないんですよ

 四郎:ほぅ

  勇:と、いうことはだ。被害に遭われた方々のご家族は事の次第に気が付いていない、またはこの事件の内容までもが届かない遠方にいらっしゃる。それか、家の娘に限ってはそんな事件に巻き込まれるわけがないと思っていらっしゃるかだ

 四郎:なるほど。して、それが私たちとどのような関係が?

  勇:九条の家だから

千代子:……

  勇:被害者の親御さん、ないしご家族の方はこう思っているのではないですか? だから、捜索願が出されていない。大きな街で何か事件があっても九条の家に娘はいるのだから、何の心配もないと。それに、もしもお預かりしているお嬢さんのことが心配で親御さんが尋ねられてきたとしても、こう切り替えせるでしょう? 他の使用人と駆け落ちしたらしいと

 四郎:……

  勇:こう言われてしまっては相手方は引き下がるしかないでしょうね。むしろ、自分の娘の不始末に愕然とするしかないのではないですか?

 四郎:(笑う)これはこれは……とても面白い推理ですね

  勇:おぉ、そう言っていただけて嬉しいです。実は、逆上されてナイフで刺されるのではと内心ひやひやしておりました

 四郎:逆上? そんな、これしきの誹謗中傷の種は日常茶飯事でございます。九条の家は様々な理由で敵視されることも多いですから

  勇:おや? では、あくまでもこの事件と九条のお家とは関りがないと?

 四郎:はい

  勇:そうですか。しかし、遺体となって発見された方々の発見場所がこのお屋敷の半径一キロメートル圏。そして、被害者の女性は全員九条のお家に奉公していた、または奉公を希望されていた方だとか。こまでの諸々が揃っているのは単なる偶然だと? ねぇ、奥様?

千代子:……

四郎:……

 勇:沈黙は肯定と取らせていただきますよ?


   勇、扉に向かって歩き出そうとする。


 四郎:おや、どちらに行かれるのです?

  勇:今日はこれで帰らせていただきます。まだまだ事件のことを調べないといけませんので

 四郎:……このままお帰りになれると?

  勇:脅しですか? 私には優秀な助手がおりましてね。事務所に私が調べたこと、そして、この屋敷に行って来ること諸々を彼にしかわからないであろう場所に書置きしてきましたので、私が帰らなければ彼が貴方方を追い込むでしょう

 四郎:(嬉しそうに笑う)

  勇:……何がおかしい?

 四郎:いえ、失礼いたしました。なるほど、貴方様がそれほどまでに余裕であった理由が分かり嬉しいのですよ。そして、貴方の中の切り札をも潰せたことにね

  勇:何?

 四郎:これに覚えはございませんか?


   四郎、内ポケットから大きな布を出す。


  勇:それが何だと言うんです

 四郎:よくご覧になってください。この柄に見覚えは?

  勇:……っ! まさか!

 四郎:実に優秀な助手様ですね。うちの文子さんのことを心配して使用人出口で待っていてくれましたよ

  勇:……あいつ!

 四郎:お優しい所は彼の美点だが、弱点ですね。奥様

千代子:……

 四郎:そろそろ湯浴みのお時間です

千代子:……四郎……

 四郎:(愛おし気に)そんな不安そうなお顔をなさらないでください。奥様に害となる者はこの四郎が全て排除いたしましょう

千代子:本当に?

 四郎:もちろんです。さぁ、参りましょう。今日はまた新鮮な若い血を湯船にお入れしましょう

千代子:本当?

 四郎:えぇ。あぁ、倉敷様もご一緒に。奥様のお綺麗な肌を貴方にお見せするのは腹立たしいですが、奥様のために供物になっていただく貴方にはその権利がありましょう

  勇:供物?

 四郎:奥様が美しくあるための大切なお役目でございます




●九条家・地下室

   部屋の真ん中にはバスタブ。

   その中には赤い水が溜まっており、傍らには縛られ身動きが取れないようにされている実と文子がいる。

   重い扉が開く。


 四郎:どうぞ、お入りください

  勇:……っ! 大町君、文子さん!

  実:先生!

 四郎:おっと、それ以上は近づかないでくださいね。いくら供物同士だからと言って勝手に触れ合ったりしないでください

千代子:……四郎、今日はこの子の血をもらうの?

 四郎:はい。文子

 文子:っ!

 四郎:喜びなさい。貴女は奥様の美しさを保つための供物になれるのです

 文子:いや! 嘘つき!

 四郎:嘘つき?

 文子:大町さんを捕まえる手伝いをしたら、姉に会わせてくれるって言ったじゃないですか!

 四郎:あぁ、そのことですか。もちろん、会わせて差し上げますよ。いや、もう目の前にいらっしゃるじゃないですか?

 文子:え?

 四郎:ほら、そのバスタブの中に

 文子:バスタブ? (バスタブを見て)嘘言わないで! どこにもいないじゃない!

  勇:バスタブ? ……っ! まさか!

 四郎:おや、倉敷様はお気付きになられたんですね

 文子:何? どういうこと!

千代子:(恍惚な表情を浮かべて)あの子の血はとても美しかったわ……

 文子:……え? 血?

千代子:とてもサラサラしていて、私の肌に良く馴染んでくれた

 文子:……どういう……

  実:……血……まさか……

 四郎:奥様、この方たちにはお話してもよろしいですか? 奥様の美しさの秘訣を

千代子:(うっとりとしながら)えぇ……

 四郎:ありがとうございます。では、どこからお話しましょうか……

  実:……狂ってる……

 四郎:(低く)言葉に気を付けろ

  実:……っ……

 四郎:倉敷先生、先生は西洋の『血の伯爵夫人』なる方をご存知ですか?

  勇:……あぁ

 四郎:ならば話が早い。そこの二人にもわかるようにご説明いただいても?

  勇:……

 四郎:倉敷先生?

  勇:……ハンガリーという国に実在した人物だ。夫人の名前はエルジュベッド・バートリー。彼女は自分の若さを保つために若い女を殺して、バスタブにその血を溜め浸かったそうだ

 文子:……え……

 四郎:ありがとうございます。流石、探偵の先生。博識でいらっしゃる

 文子:え……つまり……どういうこと……

 四郎:(軽くため息をつき)察しが悪いですね。あぁ、それとも考えることを拒否しているのですか? ならば、しっかりとお伝えしましょう

  実:やめろ!

 四郎:(実の制止を気にせず)つまり、文子。君の姉は、切り裂かれ、このバスタブで奥様を満たす存在となったということだ

 文子:……っ……

千代子:ごめんなさいね、文子さん。あの子の血を貰うつもりはなかったの。でも、あの子が悪いのよ。あの子が私を裏切るから

  実:裏切る?

千代子:そう。あの子は私の身の回りのお世話をしてくれていたの。とても気が利く素敵な子だったわ

  実:だったら……

千代子:(実を無視して忌々しそうに)まさか、あの子がここで私のために死んだ子の死体を持ち出して捨てていたなんて

  実:え?

  勇:……そういうことか……

 四郎:そうです。これが今、世間を騒がせている『吸血鬼』の真相ですよ

  実:どういうことですか?

 四郎:元々は幸子さんもこの儀式を手伝ってくれていたのです。男の私が声をかけるよりも同性の彼女の方が警戒心を持たれることもなかったですし、何より彼女は屋敷の他の使用人からの信頼も厚かった。適任でしたよ

千代子:(残念そうに)……私もあの子を信頼していたのに

 文子:嘘よ! 姉さんがそんなこと……

 四郎:嘘ではありませんよ。彼女は本当に良くしてくれていた。ですが、最近になって怪しい動きを見せてはじめていた。ですから、警戒していたんです

  勇:……それで、見つかってしまったんですね……彼女が死体を持ち出すところを

 四郎:えぇ。私には到底理解できませんでしたよ。何故、彼女が私たちを裏切ったのか

  勇:耐えきれなかったんでしょうね

 四郎:耐えきれない?

  勇:罪の意識に

 四郎:罪? 何がですか?

  実:え?

 四郎:奥様に仕えることが出来ること。その奥様のために自分が何か出来るなんて……こんな名誉なことはないと言うのに

  勇:……

 四郎:まぁ、彼女の奥様に対する気持ちはその程度だったということですね

 文子:人殺し!

 四郎:……貴女に私たちをなじる資格があるとでも?

 文子:え?

 四郎:誰のおかげでお母様や弟さんの治療が出来ているとお思いですか?

 文子:っ!

 四郎:おかしいとは思わなかったのですか? 幸子さんが家に入れている金額。それはただの奉公人が得られる報酬ではなかったはずですよ?

 文子:……っ……

 四郎:おや? 本当に気が付いていなかったのですか?

千代子:四郎。おやめなさい

 四郎:申し訳ございません

千代子:(優しく)文子さん。ごめんなさい。でも、これはどうしようもないこと。理解してくれると嬉しいわ

 文子:……誰が!

  勇:何故ですか?

千代子:え?

  勇:何故そこまでして美しさを?

千代子:……だって、美しくなければ、旦那様は私を見てはくださらないのですもの

  勇:え?

 四郎:……

千代子:私が美しくあればあるほど、旦那様は私を見てくださる。社交の場にも私無しでは立てないようにして差し上げる。私の全てを狂わせたのですもの、旦那様にも狂っていただかなくては。私が美しければ美しいだけ蔑ろには出来なくなる。私は九条にとってなくてはならない存在になる

  実:……それだけのために……罪のない方々を手にかけたと……

千代子:それだけ? わかったような口を利かないで!

  実:っ!

千代子:私の全てを狂わせたのはあの男よ。そして九条よ。だったら、私がいなくては成り立たないようにしてあげる。

 四郎:……

  勇:田中さん、貴方はこれでいいのですか?

 四郎:……これでとは?

  勇:貴方の大切な方が堕ちていくのを黙って見ているのですか?

 四郎:私は千代子様の忠実なる僕。この方のご意向は絶対なのです

  勇:……止めることだって出来たでしょうに……

 四郎:それがこの方の復讐の在り方だというのであれば、私は従うのみです

  実:……そんな……そんなの……

 四郎:(遮り)さぁ、おしゃべりが少し過ぎましたね。奥様、湯浴みのお時間です。ご準備を

千代子:えぇ

 四郎:あぁ、皆様は楽にしていてください。でも、動いたりはしないでくださいね。動いたら……頭のいい皆様ならお分かりいただけますよね?


   四郎、千代子、部屋の片隅にある衝立の中に行く。


  勇:……

  実:……これで、終わりか……

  勇:……大町君

  実:先生、申し訳ありませんでした。僕が軽率な行動をとってしまったせいで……

  勇:いや、君の責任ではないさ。私も、考えが足りなかったよ。詰めが甘かった

 文子:……

  実:文子さん、すみません

 文子:え?

  実:貴女を助けることが出来なかった

 文子:そんな!

  実:僕が貴女のもとへ行かなければ、貴女まで巻き込まれることはなかったでしょう

 文子:悪いのは私です! 姉に会いたい一心で貴方を売るような真似を……

  実:いえ、貴女のしたことは当然の行動です

  勇:褒められたものではないがな

  実:先生! 確かにそうですが、それだけ、お姉さんに会いたかったのですよね?

 文子:……大町さん……ごめんなさい……

  実:(微笑む)

 文子:……この罪はきちんと私が背負います

  実:え?

 文子:倉敷先生

  勇:ん?

 文子:この地下室から外への経路はご存知ですか?

  勇:あぁ、連れてこられた道順は覚えているが……それがどうしたのかな?

 文子:……よかった。では、お二人だけでも逃げてくださいね

  実:え?

  勇:……

 文子:この先何があっても私のことは助けようと思わないでください

  実:文子さん?

 四郎:何をおしゃべりしてるのですか?


   衝立の奥から、薄い襦袢をまとった千代子と四郎が出てくる。


 四郎:最後のお別れは済みましたか? では、文子さん、こっちに来てください

 文子:……はい

  実:文子さん!

 文子:大町さん、本当にありがとうございました。貴方の優しさ、とても嬉しかったです。倉敷先生、後はよろしくお願いいたします

 四郎:早く

 文子:……はい(千代子の前へと立つ)

千代子:文子さん、ごめんなさいね。私のために死んでちょうだい

 文子:(呟くように)……私が素直に従うと思った?

千代子:え?

 文子:姉さんの仇!


   文子、緩めていた縄をほどき、隠し持っていた短刀で千代子を刺す。


千代子:あぁぁぁぁ!

 四郎:奥様! 貴様!


   四郎、バスタブの傍らに置いてあった鉈で文子を切る。


 文子:あぁぁぁぁ!

 四郎:奥様、奥様!(床に倒れる千代子を抱きしめる)

  勇:大町君、いくぞ!

  実:え?


   勇、いつの間にか解いていた縄をほどき、実を担ぐ。


  実:先生! 何を!

  勇:暴れるな! とにかく今はここから離れるぞ!

 四郎:貴様ら!

 文子:……行か……せない!


   文子、四郎の足を掴む。


 四郎:っ! 貴様! 離せ!

  実:文子さん!

 文子:早く……逃げて……

  実:文子さん!

 文子:……ありがとう……




●九条家付近・外

   息が切れている二人。


  勇:……ここまでくれば、大丈夫だろう

  実:……どうしてですか?

  勇:ん?

  実:どうして文子さんを置いて逃げたんですか!

  勇:それが彼女の意思だから

  実:それでも!

  勇:あそこで彼女を助けていたら、我々は助からなかったよ。それは彼女の望むことではないだろう

  実:……それでも、僕は……

  勇:それに、彼女は元々死ぬつもりだっただろうしね 

  実:え?

  勇:そうでなければ、都合よく短刀なんて持っていないだろう?

  実:……

  勇:きっと、彼女も薄々気が付いていたのだろうさ。あの屋敷には何かあるとね

  実:……文子さん

  勇:大町君、君の気持ちもわかる。でも、彼女が私たちに託した願いを忘れるな

  実:願い?

  勇:彼女が私たちを逃がしたのは単なる罪滅ぼしではないよ

  実:え……

  勇:彼女は事件の真相を世間に伝えてほしいと願っていたのではないかな。自分では無理だ。でも、私たちならばと

  実:……文子さん……(屋敷の方を見て)あっ!

  勇:ん? ……あれは……

  実:どうして屋敷から火の手が!

  勇:……田中さんか

  実:え?

  勇:おそらく、あの地下室ごと隠蔽したかったのだろう。あの屋敷にある全てを

  実:何故?

  勇:あの屋敷の女主人が不穏な死を遂げたとなれば様々な調査が行われる。いくら使用人頭といえど及ぶ権力は決まっている。自分たちが行ってきたことをばらすわけにはいかなかったのさ

  実:……そんな……それじゃあ……

  勇:私たちがあの場で見たもの聞いたものを証明することは難しい。逆に私たちが疑われるだろうさ

  実:……くっ!

  勇:そこまでして守りたかったんだろうさ、奥様を、一人の女を……

  実:……

  勇:だが、私はこのまま引き下がるつもりはない

  実:……先生?

  勇:いつの日かこの『吸血鬼』の事件が明るみに出る日がきっとくるはずだ。その時のために全て詳細に残そうではないか

  実:……先生……

  勇:大町君、明日から忙しくなるぞ

  実:……はい! いくらでも!



  実:(M)翌日。新聞と世間は夜にあった九条家のお屋敷の火事の件で持ちきりだった。焼け跡からは複数の女性の遺体が見つかったとのこと。数と遺体の損傷が激しいため、身元の確認には時間がかかるという。そして、お屋敷から逃げた者の中に夫人がいないことから、彼女は火災に巻き込まれたのだろうという話だった。心優しい奥様が使用人たちを逃がすために最後まで奔走したのではないかと


  勇:(M)一見すれば、九条千代子の美談。これでめでたしめでたしだが。私はどうも引っかかる。この火事で男性の遺体が出てきてないことに。本当に彼らはあの火事で死んだのだろうか。それとも……



―幕―




2021.05.25 ボイコネにて投稿

2023.02.09 加筆修正・HP投稿

お借りしている画像サイト様:フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)

紅く色づく季節

こちらは紅山楓のシナリオを投稿しております。 ご使用の際は、『シナリオの使用について』をお読みくださいませ。 どうぞ、よろしくお願いいたします!

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